もともと警察病院でバリバリやっていたということもあり、
子供が3年生の時、医療の第一線に戻りたいと思ったんですよね。
西武川越が不満足ということではなかったんですが、療養型ということもあって、
医療の最先端にもう一度触れたいと考えたんですよ。
たぶん誰しも考えることだと思うんですよね。
★看護師師長:田中 45歳★
本当に子供を育てやすい環境でね、ある程度大きくなったところで、
違う分野の勉強をしたくなって、17年勤めた西武川越から
末期ガンを扱う外科病院に移りました。
★准看護師 :小嶋 45歳★
実は私もそう思って西武川越を選んだ1人なんですけど(笑)
准看の免許とってすぐは、しばらく一般病院に勤めていました。
外科の手術に入ることも多くあったんですよ。
でも、子供ができて、そっちを優先させたくなったんで、
9時~17時で働ける環境が欲しくなったんですよね。
正直、療養型は勉強するようなことはないだろうと思っていたんです。
朝9時に出勤して、バイタル測って、17時には帰る、そういうことの繰り返しかと思ってました(笑)
ところが、呼吸器付いてる患者様がいるわ、スパゲッティになってるわで、
『のんびり』というイメージはあっさりと覆りましたねぇ。
★小嶋★
第一線に戻って再びバリバリやっていたんですが、
生活がなかなかうまくいかなくなり、子供にストレスを与えてしまっていました。
「早く帰ってもどうせお母さんいないでしょ」
と娘に言われたんですよ、あれはちょっとこたえましたね。
道を外しかけている娘を見て、決断したんです。
家族をとるか、仕事をとるか。
プライベートがうまくいっていないと仕事もうまくいかないよ、
というかつての恩師の言葉を思い出し、西武川越を再び選びました。
★田中★
末期ガンを扱う外科病院での勉強もとても面白かったんですけど、
西武川越の福利厚生や環境、働く同僚がやっぱり良いなぁと思うようになりました。
で、勝手だとは思いつつ、戻りたい意思を西武川越側に伝えたんです。
すると、皆から戻ってこいと言ってもらえました(笑)
家族の生活を大切にしながら、素敵な仲間に囲まれて、
かつ勉強もたくさんできる、そういう西武川越の良さに、
外にでて初めて気がつきましたね。
★小嶋★
ある患者様の娘さんが、アメリカ人と結婚しアメリカに住んでいて、
年に3回くらい病院にお見舞いに来ていました 。
しかし、旦那さんと看護師のコミュニケーションがうまく取れない。
普段どんな処置をしているか、伝えるのは看護師の役目なんですけどね、うまく伝えられなかった。
そんな時、当時担当だった英語ペラペラの医師が助けてくたんです。
その医師を見て、自分もこの人のようになりたいと感じたんですね。
不思議ですよね、西武川越にいて、国際的な対応スキルが必要だな、と思うようになったんですから(笑)
今までは外国語なんて興味がなかったんですけどね 。
また、薬の知識だったり、採血のデータの見方だったり、看護以外にも勉強は必要だなぁと。
自分がいる病棟には 専門の違う先生方が臨時勤務で来られるので、その先生に教えてもらったりしている。
普段は研究をしているような医師の方々に、自分の勉強の理解度を確認してもらったりもしています。
そこで深めた知識を、スタッフに伝えていくんです。
末期ガンを扱う病院で働きながら、ふと考えたんですよ。
『私、何でこんなに長い時間働いているんだろ 』
『私、何で家より病院にいる時間の方が長いんだろ』
なんて。
看護の内容に関しても、西武川越で学んだことの方が、正直レベルが高かったんですよ。
西武川越で学んだ知識や経験を否定されるのがとても嫌だった。
正しい正しくないに関係なく、「うちの病院はこうだから」というスタンスが強かったです。
トップの方が、資格は持っているんですが医療現場経験が全くない人で、
納得いかないことが沢山ありましたね。
たぶん、西武川越のやり方が好きだったんですね、私は。
それに、とにかく患者様が可愛そうだった。「ええ!?」ということが多かったから。
ホント、その患者様たちを西武川越に連れて行きたかったですね(笑)
西武川越を辞める時、田中さんに相談したんだけど、
西武川越に戻る時も相談したのは田中さん(笑)
「いいよ、戻ってきなよ!」って明るく言ってくれたんです。
事務次長に 恐る恐る連絡し、これまた明るく承諾してくれたので、私も明るく戻ってきました(笑)
そこからはもう、西武川越病院以外はもう考えていませんね。